2005年 10月 18日
知る必要がある事、知らなくても良い事
自動車の場合。加速したければアクセルを踏む。減速したければブレーキを踏む。曲がりたければハンドルを切る。操作を行うと運転手の意思に関係なく、そうしたかろうが、したくなかろうが、それらに伴い加速・減速・曲がるの結果が必ず起きる。
また、それらの操作方法を知らないと運転は出来ない。知る必要がある事。
しかし、アクセルを踏むと何故加速するのか?ブレーキを踏むと何故減速するのか?ハンドルを切ると何故曲がるのか?知らなくても運転は出来る。そんな仕組みは知らなくても良い事。
スノースクートでもチャリでも、一緒。出来なくても別に良い事でも、出来る様になりたいならば、先ず、その必要な操作を知る必要がある。そして、その必ず目的の結果が起きてしまう操作を行う。その操作が上手く出来ないならば練習をする。
知る必要がある事を知らず、行わずチャレンジしているライダーを多く見かける。自動車でハンドルを切る事を知らずに曲がろうとしているのと一緒。それは無理。知ったからといってすぐ出来る簡単な事はそうそうないが、苦労するなら練習で苦労したほうが良い。
何の情報も知識も無ければ、自分で考えて試行錯誤チャレンジする必要がある。それは絶対に無駄にはならない。しかし、見る・教わるチャンスがあるならば、それは絶対に見逃さず必要な事を吸収する。
知らなくても良い事でも知ると良い。基本的な仕組みを理解しバラバラにする。それを新たに自分で考え、組み立て、実行する。それが出来ればそれはその人のモノ。自分だけの自動車が出来る。それは誰にも負けない。
Posted at 20:40 in /think | Permalink | WriteBacks (3) Edit
先人がいるならその人の滑りを見て、言葉をきき、実践することが上達の近道であると思います。でもなかなか身近に以内人は独学しかないわけで、ずいぶん遠回りするわけです。その練習で行ったことには無駄な物がありますが、無駄にも良質なムダと悪筆なムダがあるように思います。良質な物は後でいろんな物に転化され己の糧となるもの。悪質な物は理論や実践どちらにもこびりついていつまでも上達の妨げとなるものではないかと。まあ、ほとんどはあとで気がつき反省材料となるので良質ともいえるのかな。
先に言われてしまった感
考えて行った事は何事も無駄にはならないと思います。
たしかに
考えて行ったことはムダにはならないとおもいます。
何事も頭を使えってことですね。
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